人生のかわし方

ってかお前だれよ?自己紹介に代えて、これまでの経歴を振り返る

はじめまして、kvrです。

僕はいまアメリカに住んでいます。

妻の仕事の関係で、2019年8月に引越してきました。

僕の妻は、ドイツ人で研究者です。

僕は仕事を辞めて来たので、無職です。

アメリカでの労働許可が降り次第、仕事を探そうと思っています。

空いた時間を埋めるべく、ブログを立ち上げました。

アメリカでの生活、日々のこと、妻の稼いだ金で飲んだビールについて、なるべく赤裸々に書いていきます。

まずは、いままでの人生を振り返り、自己紹介の代わりにしたいと思います。

思えば随分とふらふらとしてきました。

いままでの経路

学生時代

北海道の片田舎で生まれました。生まれた年は1988年、昭和の終わりです。
小中高、そして大学と平均的な感じで過ごしてきました。
中学では部活に励み、高校ではバンドを組み、大学では酒を呑みまくってました。
どの時期もそれなりに楽しく生きてきました。

大学を卒業してからは、少し特徴のある経歴になっていきます。

卒業後の海外生活

卒業後は、ワーキング・ホリデー・ビザを取得し、2年間イギリスに住みました。
アイリッシュ・パブの魅力に取り憑かれ、日々パブでビールをすすっていました。
ロンドンをベースに、ヨーロッパを旅行しました。いま思い返しても、なかなか楽しい生活でした。

ビザが切れたあとは、いったんバンコクに行き、そこでアパートを借りて3ヶ月ほど滞在しました。
格安のチケットを握り締め、近隣の国々に旅行にも行きました。
一泊数百円のホステルに泊まり、ストリート・フードを食べ、とにかく街を歩き周り、人と出会い、写真を撮っていました。

しかし、そんな生活に飽きがきたのと、目減りしていく口座残高に背中を押され、日本へ帰国します。

日本でサラリーマン

帰国後は、地元の商社に勤めました。収入は手取り14万を切ることもありましたが、あまり気にしていませんでした。

週末には、札幌のインターナショナルな界隈で良く遊びました。
ここで次のステップに繋がる機会に出会いました。
友達がドイツ語の勉強会を開いていたので、軽い気持ちで顔を出しました。
ドイツ語なんて全く知らなかったし、興味もそれほどありませんでした。
しかしやって見ると、かなり面白い。
すぐに参考書を買いに行きました。

当時の退屈な仕事に少しうんざりしていたのでしょう。
時間があると、過去に旅した景色を思い出したり、ドイツ語のルールを頭の中でなぞっていました。
おそらく、逃げ道というか、退屈さへの憂さ晴らしだったのでしょう。

ですが、ある朝、急にストンとスイッチが入りました。
僕は、自分が心の中でドイツ行き決めていることに、気がつきました。
正直、自分でもめんどくせーなとも、思いつつ、僕は動き出しました。

情報を収集し、タスクを整理し、計画を立て、必要な手続きを処理し、半年後にはベルリンにいました。

また海外へ

ベルリンに着き、時差ぼけで早朝に目が覚めました。
その時は、ホステルに滞在していました。
暇だったので、ホステルのパソコンで、近所の語学学校について調べていました。
ドイツ語は、ほぼ何も話せない状態でベルリンにきています。
最寄りの学校に直接出向き、仮体験で授業に参加できるよう話しました。
そして、そのまま入学することを決めました。

結局、帰国の直前まで1年間みっちりドイツ語を勉強することになりました。
フリーランスで翻訳をしたり、レストランで皿洗いをしたり、ハウスマイスターとして家の管理をしたりして、なんとか家賃を払って過ごしていました。

一日のうちにドイツ語を集中して勉強するのにも限界がある、そう思ったので、趣味半分でプログラミングの勉強を始めました。

これもやってみると面白い。
クラスにイスラエル人のプログラマーが数名いたので、ちょくちょく質問して、残りはネットで調べながら勉強を進めました。

ベルリンでビザの更新はせず、次は日本でプログラマーの仕事をしようと決意し、帰国しました。

日本でプログラマー

帰国して職業訓練でプログラミングのコースを受けました。
在校中に仕事を見つけ、その会社で2年半ほど働きました。

ちょうど僕が仕事を見つけたタイミングで、僕の現妻が日本に来ました。
ポスドクで大学の研究室に仕事を見つけて来たようです。

札幌では、楽しく、かつ、安定した生活を続けていました。
仕事は残業や休日出勤も多く大変でしたが、業務が好きだったので、なんとかやれてました。

次はアメリカへ

お風呂上がりにタオルで髪を拭いている僕に、現妻が、「博士課程の時の教授からアメリカにこないかってメールが来たんだけど」と言いました。
「まぁ、もうメール返信して断ったんだけどね」それに続きました。

僕は、髪を拭きながら聞きました。「アメリカのどこ?」

「あれ、どこだっけ...アイダホ笑」

僕は2秒で決めました。「まぁ、じゃあ一緒にアメリカ行こうか」

それで今は

そんなわけで、2019年10月現在、僕は無職で、アメリカのアイダホ州の片田舎のアパートのキッチンでこれを書いています。

多分これくらいかけば、十分な自己紹介になるんじゃないだろうかと思っています。
むしろ長すぎて、誰にも最後まで読まれてないかもしれません。

この文章で、このブログの中の人の、人となりが少しでも伝わればと思います。

最後まで、読んでくれた方、ありがとうございます!!